「お金のむこうに人がいる」で学ぶ公的年金の意義
老後の問題はお金の問題なのか?
すべての人が日曜日に休もうとしている。そのための準備として、ふさわしくないのは次のうちどれだろうか?
A 平日のうちに、学校の宿題や課題を終わらせておく
B 平日のうちに、洗濯や掃除などの家事をしておく
C 平日のうちに、バイトや仕事をして使うお金を貯めておく
同書の第一部
一見すると、公的年金とは関係なさそうなこの質問。
お金がすべてという発想だと、この問題の正解にはたどり着けない。
回答はC。日曜日にお金を使うためには、日曜日に働いている人が必要となるが、そうすると「すべての人」が休むことはできないからだ。
働く人がいなければ、お金は力を失う。
同書の第一部
でも、「日曜日」を「老後」に置き換えると、次のようになる。
すべての人が老後に休もうとしている。そのための準備として、ふさわしくないのは次のうちどれだろうか?
同書の第一部
物事を説明する際に、極端な例を示すと理解が深まることがある。
「すべての人が老後に休もうとしている」というのは少子高齢化社会の極端な例だが、この問いかけを通じて、筆者は「老後の問題」を「お金の問題」と考えてしまうことに疑問を投げかける。
お金のむこうに人がいる
同書は、以下の10話からなる素朴な疑問から構成される。
- なぜ、紙幣をコピーしてはいけないのか?
- なぜ、家の外ではお金を使うのか?
- 価格があるのに、価値がないものは何か?
- お金が偉いのか、働く人が偉いのか?
- 預金が多い国がお金持ちとは言えないのはなぜか?
- 投資とギャンブルは何が違うのか?
- 経済が成長しないと生活は苦しくなるのか?
- 貿易黒字でも、生活が豊かにならないのはなぜか?
- お金を印刷し過ぎるから、モノの価格が上がるのだろうか?
- なぜ、大量に借金しても潰れない国があるのか?
これらも、一見すると公的年金とは関係なさそうな素朴な問いかけ。
でも、一連の疑問は「政府の借金の謎」をわかりやすく説明するための問いかけであるが、冒頭で言及があるように「ざるそばの謎」も根っこは同じであるとする。
「ざるそばの謎」とは、筆者の両親が経営するそば屋の話である。
お客さんに提供する「ざるそば」は、400円。
一方、子供のころの筆者が食べる「ざるそば」は、無料。
いずれも、筆者の両親が作っているそばであるにもかかわらず。
この話を聞くと、年金関係者であれば、第3号被保険者の問題を想起するかもしれない。(同書での言及はないが)
また、そばでのたとえ話を聞くと、日本一(?)有名なアクチュアリー準会員が説明する経済価値ベースの話を思い出す人もいるかもしれない。
識者は、そばでのたとえ話を好むのか?という素朴な疑問は置いておいて、同書の最終話を読むと、筆者が年金問題についても強い関心を抱いていることがわかる。
最終話のタイトルは、「未来のために、お金を増やす意味はあるのか?」
最終話では、「老後資金2000万円問題」についての言及もある。「少子化問題」の話もある。
「助け合い」という目的を忘れた経済。この辺りは、保険や年金をフィールドとするアクチュアリーも共感できる内容だと思う。
最終話での素朴な疑問は以下の通り。
僕たちの抱える老後の不安を解消する方法は次のうちどれだろうか?
A 他の人よりも多くのお金を貯めておく
B 外国に頼れるように外貨を貯めておく
C 社会全体で子どもを育てる
同書の最終話
冒頭で紹介した素朴な疑問の「すべての人」と同様、この問いかけのポイントは「僕たちの輪」とは誰なのか、という点である。
「僕たちの輪」は、家族かもしれないし、会社かもしれない。もっと広い視点で、日本という視点で見ている人もいるかもしれない。
「僕たちの輪」を形成するには、目的の共有化が必要である。
お金のむこうにいる人の存在に気づくことで、目的の共有化が図れるのではないか。
「僕たちの輪」はどうすれば広がるのか?というオープンクエスチョンで本書は終わる。
「助け合い」を生業とする、保険や年金の関係者にぜひ読んで欲しい一冊です。